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お久しぶりです。 前回の日付けを見るとこわくなるのですが、4度目の会社設立となりました。
前と同じように休眠していた会社を組織変更して、いまの会社の一部事業を移すだけなのですが、最近の経済状況を考えるとこちらの方が主力になりそうです。
めいど喫茶の問合せはいまだにあったり、ロケで使われたドラマはまだテレビや映画でやっているので、こっそり隠しページのリンクを張っておきます。 Amusement Cafe めいどin じゃぱん 短いあいだでしたが、いろいろありましたね。
このblogが続くかは、景気と私の事情ということで…
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前回のブログを書いたら、面白いサイトを教えてもらいました。 東京紅團
長く続いていて、おすすめサイト大賞にも選ばれていたので、きっと有名なのでしょう。
「読んでから歩くか、歩いてから読むか。文学散歩の最強サイト!」というコピーが載っていました。 かなり古い作家から、文学以外のひとのものまであります。
写真も多く、筆者が、街がどのように変わったのか、変わらなかったのか、歩きながら追体験しているので、行ったことのない場所でも行ったような気になります。
別に文学以外でも構わないのですが、この海外版とか、自然・風景をこのように扱ったサイトも探してみたくなりました。
ネットが日々増殖している巨大なデータベースだとしたら(実際そうなのですが)、望むものは必ずあるのでしょうね。
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TVドラマ化されたとき喫茶店が撮影場所になり、メイドの子も出演していて、原作小説読むよう薦められていたのですが、映画も公開され社内にあった本をやっと手にしてみました。
初めての作者でしたが、読書中どれだけ熱中できるかという基準でいえば悪くありません。 オタク事情に詳しい会社の30代社員に言わせると、「電車男」はもう古く、これからは「アキハバラ@DEEP」の時代だそうです。
コンピュータ社会の近未来的な結末にリアリティーを出すためか、途中の描写は極端に具体的です。 主人公たちのキャラクターやエピソードもそうですが、アキハバラの街の様子もすぐに熱気や情景が浮かんできます。
ニヤッとしたのは、法人「アキハバラ@DEEP」の住所がここのオフィスと同一でした。(裏アキハバラというらしい)
面白かった本を選んだときも思ったのですが、自分は、具体的な地名が出てきて、街の様子や風景を追体験できる小説が好きなんだなということです。
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だいぶ以前、というかインターネットが家庭で接続できるようになったときからですが、ネット碁を続けています。
このとき、これで好きな時に家で、碁や将棋・麻雀の対局ができると思った人は多かったと思います。
私が利用しているのは、その黎明期に海外で誕生しその後日本での運営されるようになった、ネット対局では最古参で最大のサイトです。
技術進化の激しいネットの中では珍しく、サーバの基本的仕組みを変えたりすることなく、着実に会員数を増やしながら、常に安定して運営されています。
それでもモバイル対応も含め「囲碁サイト」として考えられる限りの機能・コンテンツは充実させてきています。 (私も仕事でいくつかの機能・コンテンツ開発に関わらせてもらい、永久会員になって運営者に勝手な要望をいっています。)
爆発的拡大や突然の閉鎖など劇的変化の激しいネットのなかでは非常に珍しい、ユーザーから見ると安心して続けられる例だと思います。
対局中もみな紳士的というか、嫌な対応をされた記憶がありません。 ユーザーの年齢が比較的高いというだけではなく、囲碁というゲームの性格もあると思います。
囲碁は絶対的な勝利というものがなく、譲歩・妥協しなが少しでも相手より多く地を取れば勝ちです。 (でも地を取ろうとそればかり考えていると負けてしまう不思議なゲームです。)
相手の力量・性格を推し量り、ふたりで協力・対話しながら棋譜を作っていく感覚があります。 このあたりは、同じ「零和・有限・確定・完全情報 」でも将棋・チェス類とはだいぶ違うようです。
世界中から接続されていて、日本以外では、韓国・中国 ・アメリカ・カナダ・フランスあたりが多いのですが、南米・アラブ諸国などのプレーヤーもいます。
アンドラ公国(Andorra)という国も始めて知り、対局中チャットで、バルセロナに旅行したら訪問するよう誘われたりもします。
対戦成績のレーティングで、段・級は即座に昇級降級します。 (日本の認定は甘いので世界基準では2ランク下ですが)
さて私の成績の方はというと、その日本の認定の有段と級位の間を行ったり来たりしています。 こちらの方も、長期安定成長と願いたいところなのですが・・・
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明日から水曜日まで、4日間、夏休みを取ります。
この1年間で初めての休暇です。
会社は営業しますが、数日間保留になる案件が出るかもしれません。
あしからずご了承ください。
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電車通勤になって、かなり小説、それも新刊の単行本を読むようになりました。 以前はなかったことですが、知らない作者の本を初めて本屋で手に取って選ぶこともあります。
最近読んだ小説で面白かったもの
1.「サウス・バウンド」 2.「半島を出よ」(上、下) 3.「永遠の旅行者」(上、下) 4.「東京タワー オカンとボクと、時々、オトン」 5.「Death note」(1-12巻)
実用ではないので、読書中どれだけ熱中できるかが基準になります。 マンガもありますが、長編の方が合うようです。 すこし読んでみて失敗したと思うものもあります。 ベストセラーでも最初からどうしても読みたくない小説、作者もあります。
自分の趣向は自覚しているつもりですが、もしかしたらまだ未知の部分があるかも知れません。
誰か、私が熱中できそうな本があったらそっと教えてください。
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モノを溜め込む家系らしい。 屋根裏部屋には、本や雑誌・レコード・手紙・雑多なコレクションなどでいっぱいです。 子供ができてからは写真・ビデオ・工作物が増えていき、時々処分しているつもりなのだが、一部車庫に移動するようになってしまいました。
両親も私からすると無駄としか思えないものを捨てられずにいます。 以前田舎に帰ったとき、本家の二階建ての蔵に入れてもらい「お宝」を期待したのですが、どうしようもないガラクタばかりでした。
会社をやってみて、在庫管理費・棚卸し・廃棄損などを知り、経営的には「在庫を減らす」ことがいかに重要なことか学びました。
会社経営と違うのは、商品ではなく、どこか「思い出」と感じているからだと思います。
写真やスキャンのデジタル化も考えましたが、まあ思い切って捨ててしまった方がよさそうです。
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3日目、標高4710mのキボ・ハットに向う途中から、吐気、悪寒、頭痛がして何も食べられなくなりました。
日本では北アルプス槍ヶ岳や穂高、冬山登山もすこし経験していたのですが、最短コースで1日1000m高度を上げて来たので、当然の如く高山病に罹ってしまいました。
キリマンジャロ登山は、この高山病克服がポイントになります。 パーティーの仲間は、用意して来た薬を分けてくれたり、呼吸方法を教えてくれました。
マウエンジ峰が麓に辿り着くと、岩だらけの平坦な路が続き、正面にキボ峰とキボ・ハットの点が見えます。 すこし歩いては立ち止りながら進むため、その点はなかなか大きくなりません。
ガイドやポーターたちは頭に荷物を載せ、ゴム長靴で先に歩いていきます。
ここまで熱帯雨林、草原、高地草原、高山 湿地帯と高度を上げる度、植生が変化して、 ここが最後のAlpine Desertといわれる 地帯です。
 岩場の間にかなり珍しいサボテン類の高山植物もあったと思いますが、じっくり観察する余裕がありませでした。
翌日は深夜に小屋を出て、ガイドの懐中電灯を頼りにキボ峰頂上にアタックしました。
地面に雪が現われ、路がよくわからなくなった地点であきらめ、ひとりで戻りました。 小屋に着くころにはあたりが白み始めていました。
パーティーの仲間のうち女性と男性ふたりがギルマンズポイントまで行きましたが、最高 地点のウフルピーク(5896m)には登頂でき ませんでした。
帰りはその日のうちにホロンボ・ハットまで戻り、翌日の昼には出発したゲートまで転げるように降ってきました。 頭痛、吐気は、うそのように消えていきました。
ゲートでガイドやポーターたち全員でビールで乾杯しました。
モシに戻ると、今度は空腹が襲ってきて、仲間みんなで街のレストランに駆け込みました。
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つづくと言ったきり、しばらく更新をサボってしまいました。
昔の写真を見て思い出しながら書いています。 忘れかけたところは最近登った方たちのブログを見ています。
登山の行程、高山病との闘い、山小屋の様子など当時とまったく変わっていないのですが、地球温暖化の影響かキボ峰の氷河と冠雪はだいぶ小さくなっているようです。
登山には、ガイド1人とポーターを何人か雇わなければ入山でません。 私たちパーティーは「松竹梅」とあったコースで、コックなしの一番安いものを選び、食料は街で調達しました。
さらに貧乏旅行をしていた私は、荷物は自分で背負うということで、ポーター代はただにしてもらいました。
モシの街からヒッチハイクで登山口まで行き、防寒服と靴を借り、ガイド・ポーターと合流しました。
ガイドは陽気な奴で、片言の日本語を話します。 「2日で頂上まで登った日本人を知っている」 「ウエムラナオミという名前じゃない?」 「そーそー」 「秘密の場所で氷付けになった豹を見せてあげる」とも言うので、あまり信用できません。
2泊目の山小屋(ハット)までは急な勾配もなく、皆でいろいろ話しながら進みピクニック気分です。
海外青年協力隊は任期2年間で、女性はマラウイの小学校の算数理科の先生、男性は自動車整備を現地の人に指導していて、もうひとりは測量士だったと思います。 皆アフリカに来たらキリマンジャロに挑戦しようと計画していた、といっていました。
当時生物学科の学生だった私が面白いと思ったのは、垂直高度差による植生の変化でした。。
1日目のマンダラ・ハット(標高2700m)までは、熱帯雨林帯のような鬱蒼とした樹林が広がっています。 山頂からの地下水が豊富な証拠です。
2日目のホロンボ・ハット(標高3720m)からは、耐寒性の常緑低木(ヒース類)が草原や岩肌の間に続き、高度を上げる毎に植物群が変化していきます。
陽が沈んだあと、光りがまったくない漆黒の闇というものを始めて経験しました。 ところが2日目の夜は、満天の星空で空全体がまぶしいほどでした。
(つづく)
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ケニヤからタンザニアに渡ろうとしていましたが、当時なぜか陸路の国境は閉鎖されていました。 ダル・エス・サラームへ飛ぶ飛行機のことを聞き、何とかチケットを入手しました。
早朝、ウィルソン空港という所に行くと、そこは小さな飛行場で、軽飛行機のようなチャーター便に客はインド人ファミリーと私だけでした。
軽飛行機は、高度1700mのナイロビからキリマンジャロを目指して飛びました。 国境に聳え立つキリマンジャロがよい目標になり、そこから国境沿いにインド洋に出て、タンザニアの首都ダル・エス・サラームに向う航路を取ったようです。 航空レーダーもなかったので、それが一番安全だったのかも知れません。
天気がよく飛行日和だったのか、黒人のパイロットはキリマンジャロの氷河に近づいたり、麓のアンボセリ国立公園を動物の群れが見えるように低空で飛んでくれました。
雄大な自然に圧倒され、まったく計画もな かったアフリカ最高峰の登山に挑戦しようと 考えたのはその時です。 まだ若かったし、ひとり旅の気楽さもあったと
思います。
ダル・エス・サラーム滞在中運よく、キリマンジャロにこれからアタックする日本人に出会いました。 マラウイという国へ赴任した海外青年協力隊の男子ふたり、女子ひとりが休暇中に来ていて、そのパーティーに参加させてもらうことになりました。 もうひとりどこかの国で任期を終えて世界を放浪している協力隊の友達が加わるということでした。
私だけ先に、麓の出発点となるモシという街 にバスで一晩かけて行くことになりました。
モシは街の中心にモスクがあって、インド人が 多く、街のどこからでも2つの峰が見渡せます。
夕暮れどきには、稜線全体と雪を頂いた峰が 黄金色に染まります。
登山は比較的容易で、4日かけて雪のあるキボ峰(5895m)まで登り、1日で降ってきます。 ガイドとポーターは雇わないと入山できません。
YMCAの宿のプールで浮きながらキリマンジャロのパノラマを眺めていると、ここにいるのが夢のような気持ちになってきます。
アフリカに来て以来、なぜだかのんびりとした気分で数日間を過ごすことができました。
(つづく)
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