何処から?、何者?、何処へ?


by kusini
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妻に妹が来日したので、六本木のホテルに会いに行きました。

喫茶店やレストランの立上げで、内装やメニュー・レシピ・料金を決め、コックや従業員を採用・教育して、軌道にのるまでマネージャー役も勤める仕事をしています。

彼女はフリーですが、能力があれば価値の高い仕事であることは確かです。
「フード・コーディネータ」とも違うようで、こういう職業を何と呼ぶのか分かりません。

年に一回はこちらに来て、レストランを見学したり、上野のかっぱ橋で食器を買付けたりしています。

いま店長をしているのは、ソウルのおしゃれな街にある高級イタリアン・レストランです。

その店の社長とコック長の3人で、2泊3日の間、イタリアン、フレンチ、スペイン料理を食べ回るのだそうです。
もう昨日からお腹がいっぱいだといっていました。

リストを見せてもらうと、3人が行く店は予約制が多く、残念ながら私の知らない店ばかりでした。

彼女は将来自分のお店を持ちたいらしいのですが、まだ若いので全然焦ることはないでしょう。

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by kusini | 2006-01-30 09:09 | 家族

夢のような場面

a0058379_1441253.jpg陸路でボツワナからザンビアへの国境を越えたときのことです。

ここを通ってアフリカ南端の喜望峰まで行き、半年ぶりに同じ場所まで戻ってきました。

バス停のようなイミグレーションで待っていると、次のトラックをヒッチハイクすることができました。

 -どこから来たの?
 -日本から。
 -ブルース・リーと同じだ。
 -あれは香港、日本じゃないよ。

陽気な黒人の運転手で、英語でこんな会話をしたと思います。
私もあと数十キロで、日本人の知合いがいるリビングストンに辿り着くかと思いほっとしていました。

草原の土の路に、線路が現われました。
その前でトラックが止まったのです。
草原と路と線路だけで、信号機も列車も他のクルマも何もありません。

運転手は自分の横の窓を見たので、私もそうしました。
私がOK、というとトラックは動き出しました。

何だか夢のような記憶ですが、本当にこの場面はその後何度も夢の中に出てきました。

広い草原での一本道で、トラックが線路のまえで止まり、ふたりで左右を見ているのです。

鉄道は、ビクトリアフォールを越えてローデシア(いまのジンバブエ)へ行く線路だったかもしれません。

リビングストンの街で降りたとき、ブルース・リーの武器が欲しいといわれました。
もちろんヌンチャクなど持っているわけがなく、リュックの奥にあったセーターを渡して彼とは別れました。




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    当時アフリカでベンツといえば大型トラックのこと                   すこし走ればラジエータに蝶がつく
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by kusini | 2006-01-16 02:24 | 風景

起業と事業計画

この休みは、必要に迫られて事業計画書を書いていました。

ぼんやり頭にあることを整理して具体性を与えていくことは面白いのですが、5年後の売上・経常利益などといわれると、数字に説得力を持たせなくてはと頭を捻っている自分と、これは目標? 期待? 必達? コミットメント? と苦笑いしている自分がいるのです。

私が在籍していた会社も紆余曲折のあと売上一兆円のエンタープライズになっていますが、当時、中期計画は当たったことがなく、毎年のように修正していた気がします。

私がこの業界に入ったのは、アメリカで市販されていた小さなコンピュータ・チェスボードに出合ったからです。
多少思考時間はかかりましたが、かなり強かったのです。
中を開けてみると8080のCPUと数Kのメモリチップが入っているだけだったので驚きました。

子供のころ、『宇宙家族ロビンソン』のフライデーや、『2001年 宇宙の旅』のHALが人間とチェスをするのが夢のように思えた私には、いよいよこんな時代が来たのか、という実感がありました。

やはりこの当時驚いた人たちが、ボードを箱に入れて組立て不要にしたり、簡易言語やOS作りに情熱を捧げたり、マイコン専門雑誌創刊に走ったり、ソフトの流通にいったりしたのです。
皆私とほぼ同年齢、同世代です。

いま成功した人の起業に関する崇高な理念を聞いていると、!? と思ってしまうのは私だけでしょうか。
たぶん面白いこと、新しいことに熱中しているうちにビジネスになってきたはずです。
自分のやりたいことを続けるにはビジネスを拡大・強化するのが一番、と気づいたのだと思います。

私自身でいえば、当時会社をつくることは全く考えませんでしたが、結局はチェス・囲碁・将棋・オセロのゲーム企画・開発の会社をつくり、プロデュースしていました。

いままたITベンチャー起業がブームのようですが、だいぶ当時とは違うような気がします。
もちろん資本主義の世の中、金儲けが目的だ、と言われればそうなんでしょうが。

仕事をしたり、子供とDVDを見たりしながら、そんな昔のことをうつらうつらと考えていた正月休みでした。

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by kusini | 2006-01-09 19:39 | 仕事