何処から?、何者?、何処へ?


by kusini
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Kさんのこと(その2)

初めての韓国旅行の印象が強かったからかも知れません。
ソウルオリンピックの翌年、あるきっかけで婚約しました。
彼女は海外で働いたことがあり、お互いに国際結婚は自然だったのだと思います。

久しぶりにKさんに連絡すると、ソウルに来る予定だといいました。
仁寺洞という陶磁器や骨董品店が集まった場所にある、伝統茶の喫茶店で会いました。
いかにもKさんらしい場所です。
彼女には、日本で暮らすことは全然心配ないといろいろアドバイスしてくれました。

それからソウルには、ゲームソフトのライセンスやエンジニアの採用の仕事で、さらに家族旅行で毎年何度も行くようになりましたが、釜山には機会はありませんでした。
(一度だけ仕事行きましたが、1泊でKさんに連絡する暇はありませんでした。)

11年後、仕事で妻を通訳として連れて釜山を訪れました。

打合せは1日で終ってしまい、翌日からKさんのお店を探しました。
電話は、何年かまえに地区全体の変更があったということで繋がらなかったのです。
Kさんの実家には繋がりましたが、ここには住んでいません、と言われました。

南浦洞の光復路というメインストリートに、龍頭山公園へ上がる長いエスカレーターの入口があり、ちょうどその一角のビルにお店があったと記憶していたのですが、見つかりません。

ふたりでチャガルチ市場で食事をして、国際市場で買い物をして、龍頭山公園の釜山タワーへ行き、いろいろな方向からその場所に戻って来ても、見つかりません。

もうお店はなくなったのかと諦めたあと、太宗台を訪れ、海雲台のホテルに戻りました。
ホテルのベランダからは、白い砂浜のビーチと遠くの岬が眺められます。
夕方、外に出て海岸に一列に並んだポジャンマチャ(屋台)へ行き、ふたりでお酒を飲みました。

日も暮れてホテルに戻り、もう無理だねと話しているときに、電話が鳴りました。

(つづく)

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by kusini | 2006-02-26 19:14 | 風景

Kさんのこと(その1)

就職した年の夏、下関からフェリーで韓国釜山へ行きました。

雑魚寝の三等船室で、京都で茶道の勉強している長身のカナダ人と旅行中のニューヨークに住む若い画家と知り合いました。

私は一週間の夏休み中、ソウルから板門店近くまで行って韓国を縦断しようと計画していました。
ふたりはビザの関係で来ただけで、すぐに日本に戻るということです。

翌朝、3人は釜山の街をうろうろしていました。
初めて韓国だったが、どの店も小さく、工事中の空き地があり、人は多く、でも日本人の外見と変わりはなく、私が子供のころの日本にタイムスリップして来ているような感じでした。

そのとき街中で声を掛けてきたのが、Kさんでした。
カナダ人とお茶の留学生仲間で、彼があまりにも背が高かったので偶然遠くから目に付いたらしいです。

お茶を出す喫茶店を開いたばかりだということで、繁華街にある自分の店に連れて行ってくれました。
落ち着いた雰囲気と調度品に囲まれた店内で、お客が選んだ陶磁の茶碗で緑茶や韓国の伝統茶を楽しめるようになっていました。
彼は、すたれ気味になった韓国の茶文化を普及させたいといっていました。

Kさんは、韓国釜山らしい場所を見てみたいという私たちの希望に応えてくれました。

チャガルチ市場通度寺太宗台、お茶を嗜む知合いのお坊さんのお寺、光復洞の夜の賑わいと真夜中の厳戒令、お店の小さなステージでの伝統女性舞踊、2日間私たちには最大級のもてなしでした。

Kさん宅に泊まったときは、カナダ人が「茶道が日本人の精神性にいかに大きな影響を与えているか」という説明を英語でアメリカ人にするために、Kさんと日本語で相談していました。
日本人なのに実際にその知識がない私は、恥ずかしかった記憶があります。

そのあと私だけ、ソウル-汶山(ムンサン)まで行き、釜山でもう一泊Kさんのお世話になり、フェリーで戻ってきました。

次に、Kさんと合うのは5年後でした。

(つづく)

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by kusini | 2006-02-22 08:11 | 風景

No Direction Home

最近、仕事でサウンド・クリエータの方たちに会う機会が増えてきました。

その影響というわけではないのですが、渋谷で『Bob Dylan No Direction Home』を観てきました。
昨年BSで放送されたドキュメンタリーを劇場公開したものだそうです。

本人や関係者のインタビューとライブを効果的に切替える手法や、オープニングで入場する人の列を回っていく映像は、25年以上前、南アフリカのヨハネスブルグ滞在中に観た『ラスト・ワルツ』を思い出させます。

3時間半の長編でしたが、映像と音にこんなに集中したのは久しぶりでした。
狭い劇場は私のようなおじさんよりも、若い男女が多く、熱心に観ていたのは以外でした。

ボブ・ディランについては、すてに多くの人たちが多くのことを語り尽くしているので、ここではもう同じことは書きません。

この映画に関していえば、よくこんな映像が残っていたなという気がします。
「ユダ」と叫ぶ観客に言い返し、「でかい音でいこうぜ」と、"Lika a rolling stone"を歌うのは、爽快さと悲壮さを味わえます。

演奏される多くの歌は、その後のステージで原曲が分からなくなるほどアレンジされるのに比べれば、ほぼレコードの曲のままで、大満足でした。

これは誰も言わないことですが、数多く出ているディランのライブ盤は、有名な曲になればなるほど曲が変えられていて、私は面白いと思ったことがありません。
そういうことを言うと、映画の中に出てくる頭の固いファンを同じになってしまうのでしょうか。

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by kusini | 2006-02-11 17:08 | 趣味