何処から?、何者?、何処へ?


by kusini
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稲村ケ崎

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稲村ケ崎と小動岬(コユルギミサキ)の間の七里ヶ浜に駐車場があり、休みの日はよくここに来ます。

フリーマーケットが隔週で開かれ、ハンバーガーショップの外のテーブルの上空ではトンビが舞い、サーファーは必ず海に浮いていて、穏やか日でも雨の日でも早朝から夕暮れまで波を待っています。

空気が澄んでいるときには、江の島のバックに富士山が並び、三浦半島や箱根、伊豆半島が見渡すことができます。

稲村ケ崎の公園には、新田義貞を詠んだ明治天皇歌碑やコッホと北里柴三郎の記念碑、ボート遭難の碑があってにぎやかです。
向かいには、最近駐車場工事をしていたら温泉が湧いたのでできた温泉場があります。

ここの砂浜は砂鉄が多く黒ずんでいるのですが、砂の流出が進んでいるということです。

数年前、稲村ケ崎の海水浴場が最後となるときに遊びに来ました。
8月末だったので案の定、沖で親子でクラゲに刺され、救護室で手当を受けた最後の海水浴客となってしまいました。

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# by kusini | 2006-05-24 08:16 | 風景

五月の鷹とルネッサンス

5月は、誕生月で、1年のなかで一番好きな月です。
梅雨まえの爽やかな時期、若いときは毎週バイクで、箱根や伊豆にツーリングに出かけていました。




目つむりていても吾を統ぶ五月の鷹




黒板にルネッサンスと書く五月





上の句は、寺山修司が15歳のとき創ったという有名句。(アオスブと詠みます)
下は、昔新聞の一般投稿欄で見つけました。作者はわかりません。

5月になるといつも、この2句の情景が広がります。

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# by kusini | 2006-05-13 11:01 | 風景

レストラン・オープン

前出(2006-04-09)のレストランがオープンしたらしい。
うちに韓国語を習いに来ている生徒さん(小学校の先生です)の方が妻より詳しく、教えてもらったそうです。

ネットで検索すると、あるわ、あるわ。
妹が写っている写真も見つけてしまいました。

妻も私もヨンさまのドラマには興味がないのですが、ブログの記事に問合せがあったので、今朝彼女から電話で聞いたことだけ書きます。(ネットで出ている情報は除きます)

 -内装は、予算を決めずいくら使ってもよかったらしい。

 -プレオープンだけど一般のお客さんも入れていて、超多忙。

 -毎晩、ヨンさまから電話が掛かってきていろいろ相談しているらしい。

 -日本語が話せるウェイトレスを募集中。(ただし韓国語もしっかり話せること)

以上、自分のことでなければ、結構気軽に書けたりします(^^;

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# by kusini | 2006-05-08 04:02 | 家族

希望の仕事

今度の会社では、やりたい仕事の希望を聞き、アドバイスをして手助けするのが仕事です。

起業したときから採用面接をずっとやってきたので慣れていることではありますが、限られた時間でコミュニケーションが不十分だったり、結果的にお互い満足いくステークホルダーになれないときもあります。
しかし、夢や希望を持って自分の仕事や職業を決めている若い人たちと接し、関わっていくのは、楽しいことです。

私の関係しているのは、コンピュータ関係で、やりたいこと・創りたいのもがあって、技術を持ってそれを自分の職業にしようとしている人たちです。
具体的には、ソフトウェア技術者・CGデザイナー・サウンドクリエーター・ゲームプランナーなどです。

この職種や業界は良くも悪くも社会事象の尖端を行っているところがあります。

ネガティブな面でいえば、オタク(?)、ニート、ハッカー、オンラインゲーム中毒、メンタルな病い、長時間労働を前提とした開発、社員定着率の低さ、業種による賃金格差、業績の不安定さ、安易なリストラ・・・
社会問題化するずっと以前からこの世界にはありました。

また、これからこの業界を目指そうとしている人や独立しようとしている人たちには、他に面白いこと、選択肢がないからという閉塞感の裏返しのような希望を感じるときもあります。

これは業界や個人の問題もありますが、世の中の風潮や情報の過多が大きな原因ではと思うときがあります。

実力といっても、わずかな差が努力とは関係なく極端に大きくなってい格差。
市場のルールは必要なのだが、歪められた規制とルールを目敏く利用(悪用?)した者が得をしていく。
あることないこと、始めるまえから結論まで、すぐに情報が外に出るネット社会。

ただ時代は後戻りはできない。
私は、すこしでも夢を実現しようとして職業を決めている人たちと仕事ができればいいと思う。
今までそうでしたし、これからもそうです。

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# by kusini | 2006-04-30 23:57 | 仕事

さくら祭り

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横須賀の米海軍基地でさくら祭りがあったので行ってきました。
中には学校やレストラン、映画館やボーリング場まであります。
ひとが多すぎてイベント広場にたどり着くまで、かなりの時間がかかりました。

去年の冬の寒い夜、横須賀に住んでいた若いデザイナーが亡くなりました。
彼女は鹿児島で子供のころからマンガを描いていて、地元の大学を出て、CGデザイナーとして
仕事をしていました。
葬儀はご両親が上京し、この近くで行いました。

生きていたら、この桜を見ていたかもしれません。
海に散った桜の花びらに黙祷して帰りました。

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# by kusini | 2006-04-10 08:17 | ブログ
前出(2006-01-30)の妹が突然、日本に遊びに来ました。
ぺ・ヨンジュが今度ソウルでオープンするレストランのマネージャーに誘われ転職するので、急に時間が取れたとのこと。
ヨンさまのお店は、ヘルシーフードのレストランで、日本にも姉妹店の話しがあるらしい。

秋葉原に行ってみたいというので、前出(2005-11-08)のメイド・カフェに連れて行きました。
こちらの方は、度々マスコミで採れあげられてかなりの盛況です。
特に春休み中は、子供連れのファミリーや女性客のグループも増え、入り口に行列ができる日が続きました。

歌やダンス、ゲームのイベントがステージで時々行われ、バックヤードから興味深そうに見ていました。
一応メイド・カフェの知識はあったのですが、「実際に見てみないと分からない、みんな楽しそう、やはり日本は進んでいる」とのことでした。

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# by kusini | 2006-04-09 06:18 | 家族

YRPベンチャー事業

横須賀市のベンチャー支援事業に認定され、蒲谷市長より認定証を受けました。

「横須賀通研」(NTT横須賀研究開発センター)には、公衆回線を使ったネットワークの研究開発で1年ほど通いました。
丁度電々公社からNTTに切り替わったときで、私も若かったので泊まり込みの開発も苦にならず、新しいことが楽しかった時代です。

海沿いの134号線を毎日バイクで、片瀬海岸のアパートから、七里ヶ浜、材木座海岸、逗子湾、葉山御用邸、長者ヶ崎、自衛隊駐屯基地を通り、横須賀の武山にそびえ立つ建物まで通っていました。

建物の両側から浦賀水道と相模湾が眺められて、疲れたときは随分いい休息になりました。

その後通研の隣りにYRP(横須賀リサーチパーク) ができ、ソフト会社を設立したときの最初の受託の仕事先となりました。
社員がYRPに常駐していたので、月に一度、横横道で通っていました。

今回はこのYRPに絡む事業なのでいろいろ思い入れもありますが、まずは認定を受け責任の大きさを感じています。

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# by kusini | 2006-03-22 07:17 | 仕事

卒業式

小学校の卒業式がありました。
親にとっては長男のときから8年間、なにかと通った場所ですが、これで最後です。

クラスは新学年になる度、2クラスか3クラスになって、少子化は身近に感じられました。
ここ横浜でさえ4月から近くの小学校が統廃合され、隣の公立高校も3年後になくなります。

中学はいっしょに行く子がいないので、式のあと友達と騒ぎながらもすこし泪ぐんでいました。
周りで泣いている女の子が多かったからかもしれません。

でも3週間くらい休みが続くのは嬉しそうです。
FFXIIをクリアするそうです。

「いま僕は小学生でも中学生でもないんだ、どっちの料金を使えばいいだろう」と言うのは、
昔の自分が考えたのと同じだなと思いました。
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# by kusini | 2006-03-20 07:28 | 家族

Kさんのこと(その3)

Kさんからでした。

 -いまどこにいるの?
 -海雲台の○○ホテル。
 -それなら近くだ、ここから見えるよ。

ベランダに出てみました。
いつも眺めていた岬の上にいたのです。
実家にいたのが弟子にあたる人で、連絡がいって探してくれたらしいのです。

すぐタクシーで向かいました。
湾の端に鉄道の駅があり、そこから岬に向かって登っていきます。
ホテルやレストランや温泉が、木立の中に続きます。

Kさんのいるタルマジギルというのは「月見の丘」という意味で、日の出と入り、月の出と入りが見られる場所として韓国では有名なところだと、妻が教えてくれました。

岬の上は、人がたくさん集まっている公園があり、さらにそこからカフェの並んだ脇の路を昇ったところでKさんは待っていました。

Kさんのマンションは、部屋が全部オンドル式の茶室でした。
それぞれ部屋が、趣味のよい内装で統一されています。
ベランダ側に部屋からは海と月が見えました。
他にはなにもありません。
それは、一歩外に出た賑やかな世界とは別空間でした。

相変わらずひとり身で、テレビもパソコンもクルマもない暮らしだといいました。

私は贅沢だと思いました。
それは、普通の人が得ることも、耐えることもできない孤高の贅沢さです。
もちろん私も普通の人のひとりです。

3人でいろいろなことを話しました。
妻はあっという間の10年間だったといいました。
Kさんは、両親が死んでからここに移って来たといいました。
喫茶店はそのままだし、ここでお弟子さんにお茶を教えているらしいのです。
カナダ人は日本人と結婚して、大阪で翻訳事務所を開いていました。
日本語で話すのは久しぶりといいながら、いつも落ちつた話し方で、完璧な日本語です。

帰りはふたりで歩きました。
長い坂路の途中、月明かりの海がずっと眺められました。

2年後、妻と再び釜山に行く機会ができました。
Kさんのお店は、探しいた所から一区画隣りのビル移動していました。
テーブルや椅子は初めて行ったときと同じものです。
事前に見てきた釜山観光のネット情報や掲示板では、伝統茶の味わえる落ち着いた喫茶店として評判になっていました。

Kさんは地方のお寺に行っていましたが、間に合うように戻って来てくれました。
相変わらず彼とらしい再開のし方だと思いました。

次にKさんのことを語れるのは、いつの日になるかわかりません。
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# by kusini | 2006-03-05 23:34 | 風景

Kさんのこと(その2)

初めての韓国旅行の印象が強かったからかも知れません。
ソウルオリンピックの翌年、あるきっかけで婚約しました。
彼女は海外で働いたことがあり、お互いに国際結婚は自然だったのだと思います。

久しぶりにKさんに連絡すると、ソウルに来る予定だといいました。
仁寺洞という陶磁器や骨董品店が集まった場所にある、伝統茶の喫茶店で会いました。
いかにもKさんらしい場所です。
彼女には、日本で暮らすことは全然心配ないといろいろアドバイスしてくれました。

それからソウルには、ゲームソフトのライセンスやエンジニアの採用の仕事で、さらに家族旅行で毎年何度も行くようになりましたが、釜山には機会はありませんでした。
(一度だけ仕事行きましたが、1泊でKさんに連絡する暇はありませんでした。)

11年後、仕事で妻を通訳として連れて釜山を訪れました。

打合せは1日で終ってしまい、翌日からKさんのお店を探しました。
電話は、何年かまえに地区全体の変更があったということで繋がらなかったのです。
Kさんの実家には繋がりましたが、ここには住んでいません、と言われました。

南浦洞の光復路というメインストリートに、龍頭山公園へ上がる長いエスカレーターの入口があり、ちょうどその一角のビルにお店があったと記憶していたのですが、見つかりません。

ふたりでチャガルチ市場で食事をして、国際市場で買い物をして、龍頭山公園の釜山タワーへ行き、いろいろな方向からその場所に戻って来ても、見つかりません。

もうお店はなくなったのかと諦めたあと、太宗台を訪れ、海雲台のホテルに戻りました。
ホテルのベランダからは、白い砂浜のビーチと遠くの岬が眺められます。
夕方、外に出て海岸に一列に並んだポジャンマチャ(屋台)へ行き、ふたりでお酒を飲みました。

日も暮れてホテルに戻り、もう無理だねと話しているときに、電話が鳴りました。

(つづく)

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# by kusini | 2006-02-26 19:14 | 風景